先月、研修会社の営業担当の方と話をしていたら“グローバル人材の育成"のことが話題になりました。その時、このグローバル人材と言う言葉に、私はふとした疑問を感じました。

ハーバードやペンシルバニア・ウォートンといった世界トップクラスのビジネス・スクールのカリキュラムには多分出てこない言葉だと思いうからです。世界の何処でも通用するプロのビジネスマン、多国籍企業のトップ・エクゼクティブを養成するのが、そこの役割です。

その卒業者が、MBA (Master of Business Administration の略、経営管理修士の意) と呼ばれる人たちです。そこで、彼等はプロの経営者に求められる経営知識やその手法、加えて経営判断に欠かせない思考法、判断力を学びます。

          

ビジネスの世界が、彼らに共通して求めることは数字と言う結果責任」です。「結果が全て」というビジネス感覚を全員が持っています。

だから、皆とても数字にシビアです。つまり、グローバル人材とは、そういったシビアなビジネスが、どこの国にいってもできる人のことなのではないでしょうか。

 

「経営にプロもアマチュアもいない。経営者である以上は皆プロだ」と言う人がいます。しかし、現実を見ると、明らかにプロの経営が出来る人とそうでない人がいます。プロ・スポーツでは極々当たり前の常識も、企業経営の世界ではともするとちょっと様子が違ってきます。

一昔前に「名ばかり管理職」という言葉が話題になりましたが「名ばかり社長」は昔から沢山いました。業績が落ちているにもかかわらず具体的な打開策を打てない社長、倒産会社の経営者の人たちです。

会社の地位は社長でも、社長の仕事が出来ない人、経営者の役割を果たせない人では仕方がありません。

彼等に、共通することはビジネスへの甘さです。「成り行き任せでやっていても、何とかなるだろう」「いつまでたっても準備不足で出た所勝負」「喉もと過ぎれば熱さを忘れるの諺通り、いつもやりっぱなしで反省材料を拾えない」「何度も同じ失敗を繰り返す」といった仕事への甘さが目に付きます。

 まさに会社の業績に対する認識の低さでしかありません。「当社には戦略がない。社員のレベルが低いから業績が伸びない」と平気で他人事のように口にする方もいます。こういった状況が当てはまるようでは、とてもプロの経営者とは言えないでしょう。

 

 日本の経営者やビジネスマンは、まだまだ「頑張ってさえいれば、結果はついてくるという願望的なビジネス感覚が強くあるのではないでしょうか。いくら頑張っても結果が伴わなければ意味がありません。

 プロ・スポーツの世界では、いくら練習しても、ハッスル・プレイを連発しても、それが数字と言う結果を残さなければ表舞台から消えていくだけです。結果を出した人だけが生き残れる世界です。ビジネスも全く同じことです。「競争社会」で成り立っている仕組みであることを忘れてはいけません。

にもかかわらず、日本人の多くは「頑張ることの意味」を履き違えているように思えてなりません。

「目標を達成する。戦略を成功させる」といった結果を出すために頑張るのではなく、頑張ることを頑張っているだけに見えるのです。

つまり「自分にできることしかやろうとしない。わかることしかやらない」という頑張り方です。ですから「もっと先を読む」「周囲の状況に目を配って動く」ということに頭が働きません。目先の仕事、自分の仕事しか頭にないので、結局考えなしに、ただ同じことを繰り返すだけの頑張りです。

それは、未だに「(結果が出ようと出まいと)頑張っていれば、必ず報われる」といった発想が根底にあるからだと思います。

  

 「結果責任」というと、日本人は何か重苦しいプレッシャーのように

感じます。しかし、ビジネス・スクールを出た人達の中では、それは成功報酬という前向きな言葉に置き換えられます。

「何としてでもビジネス・戦略を成功させる」「やるしかない」といった強い達成意欲は、そこが原点にあるからだと思います。「やってみないとわからない」みたいなチャレンジ精神(フロンティア魂?)もそこから生まれてきます。

世界で通用するグローバル人材に求められる力とは、プロの経営者としての自覚です。覚悟を持って日々の仕事をしているか。頭をフルに働かせて動いているか。その当りのビジネスや仕事の仕方の違いだと思います。

 

( 平成27912日 )        Ⓒ 公認会計士 井出 事務所